4月9日(木)
朝起きてペットボトルの水を飲む。
僕の部屋にテレビは置いていないので携帯電話からシャッフルで曲を流す。
気に入らない曲ばかり流れるのでイライラしながらスキップボタンを連打するが、
一向に自分の聴きたいような曲にはたどり着かない。
10曲ぐらいスキップしたあたりで、今日は音楽を聴きたい日ではないことに気づいた。
というか、聴きたい曲はあるのだろうけど、それをまだ知らないのだと思う。
こういうとき僕は、僕自身の、音楽が好きという感覚を疑ってしまう。
僕が僕自身に課した音楽が好きという設定のせいで、確かに聴きたい曲はあるのにも関わらず、その聴きたい曲を知らない事を許せないから、音楽が聴きたくない日という事にしてしまっているのだろう。
これに限ったことじゃないけれど、
僕は本当に、つまらないプライドで生きている。
僕はそのつまらないプライドの力によって、僕自身に対してすら、音楽の知識でマウントを取ろうとしている。
そう言う意味で、とどのつまり僕は音楽の神になりたいんだと思う。
唯一、周りの人よりも多少知識が多い音楽を使って神様になるんだと本能が叫んでる。
音楽が好きというよりは音楽により神になろうとしている。
もし僕が、音楽の神になれたらどうするだろうか。
僕は一人、ベッドの上で考える。
手始めとして、音楽の神ならば必ずしなければいけない仕事を真っ先に思いついた。
あらゆる学校での音楽の授業でのリーコーダーは消すことだ。
あれは不要でしかなくて、本当に真の意味で不要だと思う。
書道の毛筆は筆ペンとか使うときに役に立ちそうだし。
美術の授業のスケッチも子供が出来た時に、お絵かきで遊ぶことができそうである。
しかし、音楽の授業のリコーダーはどう贔屓目に見ても役に立つ場面がない。
学校が修了すれば真っ先に捨ててしまうランキング1位である。
むしろ、児童の精神的成長を妨げかねない非常に深刻な問題すら、リコーダーは背負っている、そのことに気づいている人は一体どのぐらいいるだろうか。
男子が女子を好きになる。
それは健全でなくてはならないものである。
が、しかし、元来、男という性分、少し行動が行きすぎてしまうこともある。
そう、ついつい有り余った衝動が好きな女の子のリコーダーへ向く事だってありえるだろう。
というか、メンタリストのあの人曰く、実に男子の95%は好きな女子のリコーダーで、てんやわんやしているらしい。(実際、小中高時代、僕以外の男子全員がてんやわんやしていた。)
この男子のリコーダーを使ったてんやわんやは、江戸時代からも記録に残っていて、かの有名な江戸幕府4代将軍徳川家綱は"尺八攻め"という名の下に、大奥の女性全員に尺八を吹かせ、その大量の尺八で毎日365日代わる代わるてんやわんやしたらしい。
徳川家綱には子供がいなかったことで有名であるが、その理由は無類の"尺八攻め"好きが祟った結果であるのだ。
この、江戸時代から行われてきた憎き慣習は、てんやわんやされた女子の心を傷つけてしまう。
そんなこと、江戸時代では許されたとしても音楽の神である僕は許さない。いや、許せない。
ということで、僕が音楽の神様になった以上、責任を持ってこの世からリコーダーを消す。
次に僕が音楽の神様ならどんな改革を施そうか……
なんとなく、雑なエイトビート(BPM560)を太ももで鳴らしながら考えていた。
そんなことをしていると、チクっ!!と太ももに針で刺された痛み。
朝からわざわざ悪さをしてくるチクチクには一刻も早く退出願いたい。
くまなく痛んだ部分を確認するが、
くまなく痛んだ部分を触ってみるが、
目で見ても、手で触ってみても、犯人は見つからない。
もう、そうとなれば、脱ぐしかない。
今朝は少し寒かった。
決死の思いでズボンを脱いで死に物狂いでチクチクを捜索する。
そんなことをしていると急に虚しくなった。
朝早く起きたと思えば、一人で音楽の神について考え、一人で謎のチクチクを探している。
ただ一人、音楽の神になりたい男がパンツ一丁でズボンを弄る。
きっと、朝のテンションで止まらなくなった妄想に、
本物の音楽の神を怒らせた。
てっきり、新しい宗教を作り出してしまうところだった。
チクチクは見つからなかった。